東へ東へ・・・目的地は、ずばり『日本』!
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先日のロンドンオリンピック、盛り上がったようですね。

私も夜中にサッカーの日本戦をたまたまテレビで見ていた時に
ついつい夢中に見入ってしまってました。








今をさかのぼること、28年前。
私が生まれた年ですが、
冬季オリンピックが開催されたのはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。
現在、その会場跡地がどうなっているかご存じですか?







そこは今、こうなっています。







P8304947.jpg



そう、これはすべてお墓。





1990年代の内戦で多くの市民が犠牲となった。
お墓には特に1992~1995年に亡くなられた人のものが圧倒的に多い。



もともと多民族・多宗教のこの国で、他宗教同士の結婚も当たり前のようにあったこの国は、まさに理想国家であったはず。
この戦争は民族同士の争い、
民族の区別は宗教の区別であったというから
つまりは宗教の対立、宗教戦争。







このあたりの歴史は、イタリアを出てから勉強してるけど、難しすぎてよくわからない。





でも、ただ確実に言えるのは、
『ここで戦争があり、多くの犠牲者がでた』ということ。





サラエボの町はキリスト教とイスラム教が共存する不思議な町だった。



駅の近くの大通りには『スナイパー通り』と呼ばれる大通りがある。
当時、ここで動くものは、大人・子供、男女関係なく撃たれたらしい。
ここを少しだけ歩いてみた。

P8305000.jpg

ここを歩くだけで殺されたなんて、まったく想像できない。
今は、きれいなビルやショッピングモールもある素敵な通りだ。
P8304997.jpg







けれど歩くと時折銃痕と思われる穴のある建物をいくつか見ることができた。

P8304992.jpg







1992年といえば、まだ20年ほど前のこと。
ここから数年間の激戦があったのだから、記憶にある人もいるかもしれない。
私は当時、小学生。
『ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦』というキーワードは知っていても、
正直それについてよく知らない。




私と同じ年に生まれ、1992年で亡くなった方のお墓を見つけた。
彼はおそらく戦争で生涯を終えることとなり、
一方私は生きている。
そしてここに来ることができた。

彼は当時、8歳ごろ。
お墓は一回りも二回りも小さかった。






人が、人の手で、人の命を奪うことがあってはならないと、
涙が止まらなかった。
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[2012/09/01 06:34] | ボスニア・ヘルツェゴビナ
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