東へ東へ・・・目的地は、ずばり『日本』!
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※この話は、2014年の年末のお話です。







ネパールの首都・カトマンズに来たはいいけど、
体調崩しかけたのをきっかけにそのまま、ずるずるとダラダラしてました。



私が泊まっているのは、タメル地区という安宿街。

バンコクのカオサン通りみたいに、安宿街には、レストランも、土産物屋も、旅行会社も何でもそろってます。
だから、特にやることも見るところも少ない(と言われている)カトマンズでは、
タメル地区をふらふらするだけでいいのです。


インドもそうですが、欧米人のヒッピーみたいなのがすごく多い。
彼らにインドやネパールに来た理由や魅力を聞いてみると、





安いから。




と超ド直球な答えが返ってくる。



それだけが魅力じゃないだろうに。

ネパールはトレッキング目的の人も多いと思うけど。




あと、ネパールは、中国人がめっちゃ多いです。

土産物屋の看板は中国語とか、ザラですもん。

中国の海外旅行ブームも手伝って、
更に、中国人は、私たち外国人とは違って、チベット自治区を自由に旅行できるので、そのまま国境超えるケースも多いです。






で、ある日、町(というかすでに町内)をぶらぶら歩いてたら、

やたらと欧米人が

『メリークリスマス☆』

って微笑みながら言ってるんです、店員に。


店員って、現地人=ネパール人ですよ。


ネパールってヒンドゥ教徒が多い。
さらに、ネパールは太陰暦だから、今、2070年くらいの9月とか、それくらい。



店員さん、ポカーン。






ここでも『文化の違い』ってのを感じました。





ちなみに、

日本は仏教が多いですが、クリスマスのお祝いはします。
でも、きよしこの夜歌って、
ケーキ食べて、
サンタさんからプレゼントもらうのが、日本のクリスマスです

って言う話を欧米人にすると、とっても変な顔されます。


海外に出てから、『日本ってそういうとこ変だな』って改めて思ったことの一つですが、
『多文化リスペクト→日本化』は日本のいいところだなと思うようになりました。
その割にはまだ理解に偏りがあるなと思うところはあるけれど、
社会・政治問題に話がずれてしまいそうなので、戻します。




そうなんです、この日は『クリスマスイブ』ってやつだったんです。






忘れてた。







せっかく思い出せたことだし、
ひとりでクリスマスパーティーすることにしました。

ひとりでね(泣)。






まず、カトマンズ一の見どころである、ディズニーランド!!!








な、わけないし。





世界遺産のダルバート広場へ。




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古風やなぁ。

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ネパールの生き神・クマリ様がいるお屋敷らしい。

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鳩の数がすごい。


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で、カフェ入りました。



カフェとか、いつぶり?

ケーキではなく、ホットココアで、メリクリです。

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何かオシャレな気分♪

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はっきり言って、クリスマスじゃなくてもできることですけど、
たまには理由つけてこういうことするのも大事よね。





って、去年のクリスマスは、アンコールワットで中国人観光客にまみれてましたし、
一昨年は、エジプトからスーダンへの奴隷船の中で、仲間とチキンやらケーキやら食べたな(笑)
その前は、ブラジルでカメラぶっ壊れて走り回ってたんだっけ。


旅出て初めてゆっくりしたクリスマスですよ。



まぁ、もともと、クリスマスだからパーティーしなきゃ☆とは全く思わないんですが(←さっきと言ってること違う)。






でも、日本風クリスマスを独りでささやかにできたのは、それはそれで楽しい。


夜、和食を食べ(ネパールの見どころの一つはクオリティの高い和食にあるらしい)

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その後、調子に乗ってビール買って飲んでたんですが、





翌日、調子悪かったです。



ここ一年くらい、お酒がめっきり減ったので、
弱くなったみたいです。



もともと強くなかったですが。



でも、日本の梅酒が飲みたくなりました。














このダルバート広場を訪れたおよそ5ヶ月後、

ネパールを襲った大地震。


テレビに映った変わり果てたダルバート広場やカトマンズ・ネパールの様子に心を痛めました。

出会った人たちをはじめとする人々の安否を心配するとともに、

一日も早い復興を願っています。
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[2015/07/28 01:55] | ネパール
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夜行列車に乗って、バラナシを後にする。


10年前もそうだったけど、『バラナシ』という町を出るときは、なんとも言えない気持ちになる。
それだけ思い入れの深い町なんだろうな、私にとって。



ま、また戻ってくるつもりだけどね。







これから向かうのは、ネパール

何か国目になるのかな?

この旅で65か国目くらいかな?






ネパールまでの直通列車はないので、乗り換えていく。
まぁ、バラナシからネパールに入る定番のルートですが。



ネパールから降りてきたワールドランナー・岡ちゃんに直接いろいろ情報をもらっていたので、すごく助かった。
アフリカに続き、ここでもお世話になりまくったランナー様に感謝です。



まず、電車でゴーラクブルまで行くんだけど、
その列車が6時間くらい。
早朝着の予定が、昼ごろ着。
列車は駅の手前まで来ているのに、そこから3時間、全く動かない状態だった。

まぁ、インドだし。

こんなのは想定内。






駅を出ると、国境行きのバスが停まっていたので、それに飛び乗る。
国境行きって言っても、3時間くらいかかるんだけどね。

ローカルバスなので、立っている人も続出。



なんの問題もなく、無事に国境に到着。


そこからイミグレまで500mくらい歩くんだけど、
インドのイミグレは、一見全く気付かない。
道沿いの商店に紛れてオフィスがあるので、素通りして国境で怒られるってパターンが多いみたい。


私も、イミグレに気づかず国境に向かって歩いていたら、
その辺のおっちゃんに、イミグレに連れて行かれた(笑)。
でも、一見イミグレには見えないオフィスなので、疑いまくってたけどね。

変な旅行会社か何かじゃないのか、とか、詐欺まがいのことされるんじゃないか、とか(笑)。

ま、全然そんなことなかった。
疑ってごめんなさい。



しつこく両替はどうだって言われたけど、
国境での両替のトラブルは多く聞いていたので、する気は全くない。
そもそも、インドにまた戻ってくる予定だから、インドルピーを両替するなんて考えてないし、ネパールのお金はATMで引き出すよ。
国境にATMがなかったとしても、近郊の町に行くだけの小銭くらいはすでに持っている。



国境のゲートを越えて、ネパール側のイミグレでアライバルビザもとって、

無事ネパールに入国。

さすが、定番ルートだけあって、スムーズ。
けれど、もう夕方。


列車が遅れなかったら、夜にはカトマンズなり、ルンビニなりについていたはずなんだけど、まぁ、しゃーない。

インドだし。


最近、何でもかんでも『インドだから』って片づけで納得してる節があるけど、
実際そうしないとやっていけない。
だってインドだから(笑)。




国境から、バスで近くの比較的大きな町・バイラワに向かう。
バイラワに着いたときはもう真っ暗になっていた。


さぁ、どーするかな。

この町で一泊してから、明日の朝、移動するか、
このまま夜行バスに乗って移動してしまうか。


うーーーーん・・・




明日の朝、早起きしてまた荷物をパッキングして移動ってのもしんどいし、
もうこの勢いで移動しちゃうかー


少し離れたところにあるバスターミナルまで行き、
最終のカトマンズ行きの夜行バスを尋ねる。


インドでもそうだったけど、
夜行バスって、目的地の到着時刻が夜明け前ってことが多いのよね。
早くに到着できればいいってもんでもないので、到着時刻でバスを決めるってのは、かなり必須になっている。



最終のバスは、19時半発、朝、6時前に着だって。
朝6時前ってのはちょっと怪しいけど、
まぁ、これが最終ならそれでいくか。



と、あまり期待せずに乗り込んだけど、

やっぱりネパールもネパールだった(笑)。





バスは快適。
まさかのWiFiつき(すぐ切れたけど)。


けど、
終点のカトマンズのニューバスターミナルに到着したのは、

朝4時過ぎ。





んもーーーー





早すぎるやろ。




でも、日中、同じ道を9時間で走るところを、夜行だからって11時間かけて行けっていうのが無理な話。

だからこれも想定内。






当然、外は真っ暗で、標高もあがっているため、かなり寒い。

とりあえず、開いているチャイ屋でチャイをすする。



あ。
ネパールはチャイじゃなくて、チャーっていうんだっけ。


しばらく休ませてもらっていたけど、
ここにいても寒い。
建物はないし、周囲にも何もない。




とにかく安宿街へ行こう。




GPSを起動させ、ヘッドライトを持ち、
人通りのありそうな道を選びながら向かった。

それほど遠いわけでもない。




けれど、まだ6時前。
当然だけど、どのゲストハウスもまだ閉まっている。


開いている宿に行ってみるが、
いわゆる『ホテル』ばかりで、完全に予算オーバー。


もう少し待てば宿も開きだすだろうし、まだ早まってはいけない。


何軒か回っていたら、ちょっと高めだけど予算内の安宿を紹介してもらえたので、
そこに向かった。



すぐにチェックイン。
そして爆睡。



ネパールの旅も、一体どんな旅になるのかな。



ここも、

『だってネパールだから』

を連発する国なんだろーか???

[2015/07/28 01:26] | ネパール
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タイトルまんまです(笑)。


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初めて出会った時のことはあまりブログで詳しく書かなかったですが、

それはそれは興奮しました。




『ワールドランナー』と言えば、
長期で世界を旅しているブロガー・およびホームページの情報がすごい・ついでに国数もかなりすごいということで有名で、


特に私たちがアフリカをまわっていた時よりも半年以上前からまわっておられて、
その情報がとても詳しい。
もともと、アフリカの情報がネット上であまりなかった時代。
私たちの合言葉は、

『ワールドランナーの情報見て』
『ランナーさんと同じルートで行きます』


だった。


『アフリカと言えばワールドランナー』


これはマジでアフリカ旅の定番だった。






で、私がアフリカ縦断を終え、南アからモロッコに飛んだんだけど、

そのとき、

『ワールドランナーも今モロッコにいるらしい』

という情報を聞きつけ、
淡い期待を胸に旅しておりました。



トドラから新月狙いで砂漠に行き、
バラ祭りのためトドラに戻って来た時


宿のテラスにいたんです、写真とかで見たことある顔のひょろっとした兄ちゃん!!!



えみりあ「あのー、ランナーさんですか!!!!???」
兄ちゃん「はぁ、まぁ・・・」
えみりあ「きゃーーーーーーーー!!まじすか!!!握手してください!!!!アフリカではお世話になりましたああぁぁぁぁぁぁあああ!!!
兄ちゃん「はぁ・・・。」


こんなかんじだったと思います。

その後も私はしばらく小躍りしてました(笑)。





トドラだけでなく、それから再び戻った砂漠でも再会し、
シャウエンやスペインのセビリャでも結構一緒に過ごしたなー






今回、バラナシで再会したとき、全く違和感なく
「やっほー!久しぶり―」
って感じで再会したんだけど、


1年半前に会った時となんだかいろいろ変わっていて、楽しかったです。



ネパールでの3週間に及ぶトレッキングの後ということで、
髪は長くなってるし、
日本に一時帰国してたのもあって、身なりがこぎれい!!
以前は、タジンが高いと言って100円のサンドイッチばっかり食べてたのに、今は250円のツーリストメニューばっかり食べてました。


びっくりした(笑)。




でも、周りに同じくらい(には到底及びませんが)の長期バッパーももう少ないし、
タメだし、
以前にもまして遠慮なく、深い話も色いろしてた気がします、お互い。






ガートでチャイ飲んでたとき、日本人のご夫婦と出会ったんだけど、
彼らも最近までアフリカをまわっていたとのこと。
「それぞれ時期はズレてますが、俺らもアフリカまわりましたー」
って話してた時、

その男性が気付いた!!


「あの、もしかして、ワールドランナーさんですか!!!???」

興奮が、私の時と一緒(笑)。

そうなりますよね、普通。






なんかね、

前回のブログの続きみたいになるけど、

私の旅の原点となった場所で、
この旅と、私の10年を振り返りながら、
旅で道を標してくれ、時間を共にした人と再会し、再び旅の話ができたことが

私の大きな旅の通過点になったのは間違いないと思う。







今まで同様、今回も私がランナーさんを見送る立場となりました。

彼の電車は24時間遅れという災難に見舞われてましたが、
テンション下がりつつも動じないその姿に、4,年の旅の貫録を感じました。


さすがです。

私だったら動揺してると思う(笑)。







ホントに楽しい再会をありがとう!!


またどこかで会えることを期待してまーす!!


良い旅を!

[2015/07/28 01:06] | インド
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グワリオルからの夜行列車は、予定より少し遅れ、正午前にバラナシ駅に到着した。


駅を出ると、リキシャの客引きが寄ってくる。


『メインガートまで行くか?200Rssでどうだ!?』

200ぅ!?高い高い!!
とりあえずチャイ飲みたいの!
あとでね~



電車の中で乗り合わせたインド人にリキシャの相場は高くても80Rsまでだと聞いていたし、
とりあえずホッと一息ついてから、この町をスタートさせたかった。



デリーやアグラやバラナシなどのインドを代表する観光地では、客引きがしつこく、トラブルも多いという。
しかし、それっきりリキシャの客引きに絡まれることはなく、
正直つまらないなと思った。


結局、チャイ屋で息つく前に、乗り合いリキシャを見つけ、
全くのトラブルもなく、相場でバラナシの旧市街に到着した。




私のテンションはおかしかった。



期待と不安、ワクワクとドキドキ

そう表現すればいいのだろうか。



この町に来ることが、私にとって大きな舞台に立つこと同じような感覚だった。







10年前の夏、仲間と6人で降り立ったインド。
私にとっては初めての『旅』であり『バックパッカー』だった。

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入国翌日、雨に打たれながらデリーを歩き、
ずぶ濡れのまま夜行列車に乗り込んで向かったのが、ここバラナシ

私の『旅』は、ここが出発点だった。



しかし、日本とは何もかもが違うインドという国や旅という生活が、衝撃的すぎて完全なる消化不良に陥っていた。


仲間以外誰も信用することができず、遅れを取らないように着いて行くだけで精いっぱい。
いや、息をするだけで精いっぱい。
宿から100mで歩くだけで、丸一日仕事するのと同じくらいのエネルギーを要していたし、
まして歩いたことのない道を独りで歩くなんてことは、とてもじゃないけどできなかった。
毎日スプリングロールしか胃が受け付けず、土産物を売りつけつつも積極的に話しかけてくる子供たちと向き合うこともできずにいた。
好奇心なんて1ミリも持てなかった。
カルチャーショックで泣いてばかりいた。
それでも、『何を食べるか』『いつ起きるか』『どうやって行くか』など、小さいけれど大切な自己決定が、
今まで『みんなと同じことをしていればいい』『言われたことをしていれば大丈夫』といった固定観念を覆すきっかけになったし、
その自己決定ひとつひとつが自分に小さくも大きい自信につながって行った気がする。


バラナシは、私の旅の原点だ。

『試されている』というのも、あながち間違っていないと思った。



自分の弱さやあまりの器の小ささを思い知ったこの場所。
そんな私を受け入れ許し癒すように淡々と流れるガンジス川、それをただぼーっと眺めている時間が、かろうじて私の安定を保ってくれていた。
『えみりあ』というニックネームをもらったのも、ここバラナシだった。
一緒に旅した仲間がいなかったら、
日本でサポートしてくださった人たちがいなかったら、
そして、バラナシで出会い支えてくれた方々がいなかったら、

あれだけ自分の器の小ささを思い知り、実際完敗で帰ってきたのに、
何故か帰国後のトラベラーズハイは異常だったと、今では思う。
けれど、気が狂ったように『インド好きだ』『インドまた行きたい』『できなかったこといっぱいしたい』と寝ても覚めても言っていた私が、

今の自分につながっている。


この場所と出会いがなければ、

今の自分は存在していない。




そんな自分の原点であるバラナシに来ることは、
10年前の自分と向き合うことであり、
10年間の自分と向き合うことであり、
そして現在の自分と向き合うこと。








不安だった。






私の記憶の中のバラナシは、10年前のまま、色あせない。



だからこそ、ここに来ることが、
毎日歩いた道を再び歩くことが、
当時出会ったり、とてもお世話になった人たちと再会することが



少し怖かった。





そんな私に、10年前のインド旅行の時、ずっと行動を共にしていたトモコが、こういってくれた。

『心の準備は8割でいい。大丈夫。10年の月日があるから』


この言葉に、とても救われた。








バラナシを歩くと、いろんなことがフィードバックした。

毎日夕暮れにチャイを飲んだ場所。
ご飯を食べに通ったレストラン。
宿に向かう路地。
帰国直前に、停電の真っ暗の中、何かに噛み付かれた場所。
ジュースを買った商店。
泊まったホテル。

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そしてガンガー。

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まるで昨日のことのように、新鮮に思い出される。
こんな感覚がとても不思議で、快感で、すごく楽しかった。








でも、バラナシは変わっていた。

牛だらけ・うんこだらけ・ゴミだらけだった道は、こざっぱりしていた。
季節が違うのもあるかも知れないけど、人でごみごみしているということもあまりない。
雨季で歩けなかったガートも、今回は歩ける。
素焼きのカップで飲んでいたチャイは、経費面からプラスチックの使い捨てカップに変わっていた。
ガンガーを流れる死体も、河イルカも、今回は見ることができなかった。実際少なくなっているようだ。
夜停電しても、発電機を持っている家が増えたようで、道が真っ暗ということはまずない。
当時たくさんあった両替屋も、ネットカフェも、数が減っているように思った。
代わりに、wifiを導入している安宿が増えたし、ホットシャワーが出る宿も増えた。








10年前の写真を頼りに、出会った人を探した。



あの時、コロッケを作ろうということになり、野菜を買った市場の親子。
写真を撮ったら喜んでくれ、安くしてくれた。

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当時の場所に市場はまだ健在だったけど、
彼ら新市街に引っ越していき、ここではもう商売をしていないのだという。
誰も彼らの家までは知らないようで、あきらめざるを得なかった。

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毎日夕方に通ったガートで、毎日土産物を売ろうとしてきた子供たち。
あの時、自分と全く違う境遇の小さな子供たちを実際に前にして、私はどうしていいかわからなくなっていた。
仲間の一人が彼らにねだられてチョコレートを買ってあげていた。
私は何も彼らにしてあげていないのに、『お礼に』と彼らが売り物にしていた花入りの灯篭をくれた。
でも、私は最後まで彼らと向き合えないままだった。

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そんな彼らももう大人になっているはず。



ガートに行くと、

『僕の兄ちゃんだよ』
という少年二人。
確かに似ている気もするが・・・。

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翌朝、彼と再会できた。

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彼は今、観光客相手に写真を撮る仕事をしているという。
商売道具のカメラを大事そうに見せてくれた。

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彼も写真に写っている人。

みんな、この10年、親が亡くなったり、大変だったこともあるけど、
元気にしているみたいで嬉しい。
笑顔は当時のままだった。







そして、この人。


当時、インドに来たばかりの、右も左も分からない私たちを朝から晩までサポートしてくれた一人・ミントゥ。
大学で日本語を学び、日本語はペラペラ(しかも、その辺でやたら絡んでくる日本語使いとは全く違うきちんとした日本語)。
彼がいなかったら、間違いなくインドで生きて行けなかったかもしれない(笑)。

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何度もお邪魔したガートのそばの彼の家へ行ってみる。

そして感動の再会。

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彼は、やっぱり覚えていなかったみたいだけど、話しながら思い出してくれた。
私が忘れていたことも、すごく覚えている。

10年も経てばお互い変わるよねぇ。


家庭を持ち、2つのホテルのオーナーをしているミントゥと、『絶対インドリベンジ』を執念にし、世界一周しちゃってる私。

私は覚えてなかったんだけど、
トモコは当時、『将来自分のホテルを持ちたい』ってミントゥが言ってたのを覚えてて、すごく喜んでた。

そんなミントゥのホテルは、部屋を見せてもらったけど、
かなり高級感ある、ガンガービューの素敵なホテルだった。
私の泊まってる部屋は、この部屋についてるトイレくらいの広さだよ(笑)。

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この部屋でママのカレーごちそうになったんだよなぁ。
ママ、今も元気だよって。
当時まだちびっこで悪がきだった弟たちも、今はこのホテルを手伝ってるそうです。

今回はチャンスがなくて会えなかったけど、もし機会があれば次回会いたいな。

毎年来る欧米人のお客さんや、日本人のお客さんも多いみたいで、
やっぱりミントゥの人徳だなと思う。









10年の月日は大きい。
バラナシの町はいろいろ変わった。
人も変わった。
私も変わった。

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変わらないものなどない、それぞれの10年

『10年』という経験値をそれぞれが持っているはずだし、
『10年』という時間をそれぞれが歩んできた。


バラナシは、あのころとは全く違って私の目には映っている。
何もかも刺激的なインド・バラナシというよりは、変わり変わらないゆっくりとしかし淡々と時間が過ぎてゆくバラナシ。
見えなかったものも今は見えるし、感じることもある。
逆に擦れてしまった部分もあるのは間違いない。

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それでも、不思議なほど、いつもの旅と同じペースを崩すことなくバラナシを歩けた気がする。


この場所が変わったのか、私が変わったのか、
どちらにしても時間は確実に動いている。




あのころに『戻る』ことはできないけれど

それでもここで『ただいま』と言いたいし『おかえり』と自分に言いたい。


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そして、再び足を前に出そうと思う。

[2015/07/28 00:34] | インド
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