東へ東へ・・・目的地は、ずばり『日本』!
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正直な話、アフリカに来るまで知らなかった。

ルワンダという国自体、どこにあるのかも知らなかった。









ルワンダには、85%の『ツチ族』と15%の『フツ族』がいて、
かつてのベルギーの植民地時代からツチ族がフツ族よりも優遇されたり、
その後もツチ族がフツ族を虐げたりという時代背景があった。
ツチ族に対する不満は沸々と募っていた。
1994年4月。
フツ族出身のルワンダ大統領と、同じくフツ族出身の隣国のブルンジ大統領の乗った飛行機が墜落。
ツチ族が攻撃してきた(実際はそのような証拠は残っていない)・この国をツチ族から解放しなければならない、ツチ族を根絶せよとフツ族強硬派が全国のフツ族に呼び掛け洗脳し、
彼らは手にナタを持ち、ツチ族を虐殺し続けた。
死者はたった3か月で50~100万人とも、そしてルワンダ人口の10%と言われている。










当時、私は8歳。

その事実はリアルタイムでは知らない。
その後も知らなかった。

そう、最近まで・・・。





実際、日本人でその事件をリアルタイムで知っている人ばれほどいるのだろうか。
当時のメディアは、アフリカの小国の内戦よりも、
東ヨーロッパの旧ユーゴ内戦の方に関心を集めていたというのが事実。




その後も『ホテルルワンダ』『ルワンダの涙』といった映画が発表されたが、
その存在すら、私は知らなかった。








『ツチ族』『フツ族』の違いなんて分からない。
『ツチ族』の父親と『フツ族』の母親の子は『ツチ族』とされた。
そんな理由で殺されたのだ。


近所の人だったり、友達だったり、家族でさえも。




その方法は実に残虐というほかなく、
武器は何でもよかったのだ。
ただ、身近にある武器になりそうなものを手に持ち、『ツチ族狩り』ともいえる行動をとっていた。








国中が死体で溢れかえったという。









私が歩いた道も、そうだったかもしれない。



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私が出会った人も、そうだったかもしれない。




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キゴンゴロという町の近くにある博物館。


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ここは、当時、技術学校だった。
ここにはベルギー軍の基地があったため、ツチ族たちはここに逃げてきた。
しかし、ベルギー軍が撤退するとすぐにここは死体の山となった。
映画『ルワンダの涙』のモデルとなった場所だ。



ここには膨大な数の犠牲者が、ミイラとなって私たちに語りかける。
小さな部屋に置かれたテーブルの上に寝かされた、無数の白くなった彼ら。
隠せない傷痕や、表情すらも。
いくつもいくつもその彼らがいる部屋が続いていた。
手を合わせることしかできなかった。


P2210875.jpg



周りは素敵な景色なのに。












日本は平和だということを、常々思う。














映画『ホテルルワンダ』のモデルとなった、ホテルミルコリンズ。

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現在は、丁寧に手入れされた庭やプールや、教育された職員を持つ格式のあるホテル。
戦争や恐怖感など微塵も感じらない。

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ここに足を運ぶことができ、
映画で知っている世界とは全く違う現在を感じられることが、
『平和』の証なのだと思う。




そして、このホテルで、客として、落ち着いておいしいご飯を食べれることがやっぱり平和だと痛感する。

平和だから『おいしい』と思える。

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それはとてもしあわせで、でもあたりまえのこと。









あの虐殺を経て、
障害を抱えている人、
家族を亡くした人、
心に大きな傷を負った人、
それぞれの立場で背負っているものは計り知れない。


でも彼らはきっと過去を背負いながら未来を見つめて現在を歩んでいる。





やっぱり月並みだけど、言うのは簡単だけど、




民族や国とか、そんな枠組みを捨てて、
平和な世界を願ってやまない。
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[2013/03/05 23:45] | ルワンダ
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