東へ東へ・・・目的地は、ずばり『日本』!
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暗い歴史を持つポーランドのクラクフですが、
現在はとても素敵な街だと思います。

街並みは、以前のブログで紹介した通り。





私がついこの街に5泊もしてしまったのは、
決してアウシュビッツのガイドの予約の日程の都合だけが理由ではありません。





宿から徒歩5分のところにあるユダヤ人街に、ついつい通ってしまったから。


何が魅力って、







ステキなカフェや雑貨屋さんがたくさんあるんです☆




夕方から、雑貨屋さんをぶらぶらめぐり、
その後、西日の当たるカフェでお茶してのんびりするのが私の日課になってました。


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のんびりできるっていいね。
色んな事が見えてきます。










これはユダヤ人街ではないですが、
ブダペストの宿で会い、今回アウシュビッツを一緒に行ったケンさんと
BARで初めてビールタワーを頼みました。

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なぜか全然泡立ちませんでした・・・。

でも楽しかった。







クラクフの見どころは、
旧市街とアウシュビッツのみにあらず!
と、声を大にして言いたい。
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[2012/10/25 06:05] | ポーランド
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オシフェンチム、
ドイツ名アウシュビッツ。







その名を知らない人はいないのではないかと思う、負の世界遺産。






ここで起きたことはあまりにも有名で、
あまりにも残虐で、


けれど想像しがたい美しい自然に囲まれたところにあった。











ここではガイドなしでは入場できない時間がある。
いつもは英語ガイドで、分かったような気になって回ることもあるけれど、
今回は、日本語ガイドを事前にお願いしていた。
ここだけは、ネイティブな言語できちんと理解したいと思っていた。




有名な『働けば自由になれる』のスローガン。

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しかし、ここに連れてこられた人たちの80%はこの門をくぐることなく、
ガス室に送られた。
高齢者や子供、障害者は無条件に。

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そして顔色だけで生死を判断された。

―――――――『選別』だ。

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いくつも並ぶこの建物には、一棟に700人も収容された。

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私の中にあったポーランドのイメージは、アウシュビッツとレンガ造りの建物。
そのイメージはすべてここから来ていたのだと思う。






囚人はユダヤ人のイメージが強いが、
政治犯やポーランド人、同性愛者、ロマ(ジプシー)らも収容されていた。
しかしその多くはやはりユダヤ人だった。

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『ユダヤ人絶滅』
それが当時のナチスの目標。

それは『ユダヤ人によってドイツ人が脅かされている』
という思想があったという。

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ユダヤ人を『騙して』連れてきた場所がここ



『絶滅収容所』

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荷物(多くの人は全財産・家財道具をもってきていた)はすべて没収。
身に着けていたもの・髪の毛に至るまですべて取り上げられた。

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そしてそれらはすべて、ドイツによって利用された。
お金は戦争の資金に
髪は布地に
収容された人々は労働力に
一部の人は人体実験に・・・。


しかし、報告書には当然、
それらが『アウシュビッツでユダヤ人から没収したもの』とは記載されることはなかった。









ガス室は、寒気がするほど冷たい空気が漂っていた。
ここで一度に1500人もの人が、チクロンBという殺虫剤を使って殺された。
このチクロンBを製造している会社は有名企業で、現存だ。

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殺された囚人は、囚人によって焼却処分された。

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収容された人は人としての道徳を捨てざるをえず、
人として扱われることなく、
激務や飢えや病気や見せしめ処刑や自殺や様々な理由で命を落としていった。
たった、3か月程度で。

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一体どれほどの人がここで働き、そしてどれほどの人が自由を手に入れることができたのだろう。










死の壁にはいつも花がそえられている。
モナコの王女様が最近訪問したそうだ。

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囚人が囚人を管理し、
囚人が囚人を処分する。
収容所を管理するSS将校が直接手を下さなくてもよいシステムが、罪悪感を持たせなかったという。

囚人は奴隷、いや、ゴミのように扱われた。









アウシュビッツ強制収容所一号棟、いわゆる『アウシュビッツ』から2キロほど離れたところに
更に広大な収容所があった。
ビルケナウだ。

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ここは、アウシュビッツよりもずっと劣悪な環境にあったことがすぐに分かった。
しっかりしたレンガ造りの建物であったアウシュビッツに比べ、
ここは隙間風のビュービュー入る木造。
そしてかび臭い。
腐ったワラをひいただけのところに4~5人寝かされたという。
冬は-20℃にもなるというポーランド。
一応暖炉は焚かれるが、その周りに監視役の囚人が占領し、一晩に何人の人が凍死したことだろう。

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トイレも穴の開いているだけのところに一斉に順番にする。
ひとり15~20秒程度しかなかった。
行きたいときに自由に行けるわけもなく、
紙も水もプライバシーも何もない。

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ここのガス室は、ナチスが証拠隠滅のために、撤退直前に破壊していった。

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何人ものイスラエル人が、イスラエルの国旗を背負ってここを訪れる。
彼ら目には、ここがどのように映っているのだろうか。

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『ユダヤ人』とはなんだろう。
なぜこのような目に遭わなければならなかったのだろう。
『ユダヤ人』というだけで。


ユダヤ人迫害の歴史をたどると、
キリストの時代までさかのぼることになる。
キリストを磔にしたのは、ユダヤ人と言われている。
そこからキリスト教が派生したわけだけど、
もともとはイエスキリストもユダヤ人であり、ユダヤ教もキリスト教も同じ一つの宗教だったはずだ。



クラクフのユダヤ人街を歩いていても、
私にはユダヤ人が誰なのかさっぱり分からなかった。
これまでこの旅で出会った人の中に『ユダヤ人』はきっといたと思うし、助けてくれた人もいるかもしれない。
改宗したり、他民族や他宗教者と結婚するのが当たり前のこの時代に、
『ユダヤ人』『日本人』『ドイツ人』などというカテゴリーや定義が本当に必要なのか。
それは周囲の人が『安心するため』に作っておきたいことなのではないか。
私は『私』なのだ。

『ユダヤ人』のイメージ、
『ドイツ人』のイメージ

色んなイメージだけが先行し、イメージだけの判断。
アウシュビッツはそんな『イメージ』が作り上げた場所だった。
イメージだけで判断するのは危険なこと。

東欧・旧ソ連の国は『怖い・寒い・謎のイメージ』しかなかった。
けれど、来てみて、それとはまったく違ったものだということに気づく。
やさしい人が多い。
ご飯がおいしい。
物価が安い。
自然が多い。
思ったより暖かかったり、思ったより寒ったり。
のんびりした町だったり、せかせかした町だったり。
非常に都会だったりする。
ここだけではない。東欧だけでなく、あらゆる国・都市・街・地域でだ。
旅をしていて、そういう『イメージの打開』は日常だ。
そのまえは『イメージの先行』だったり『何もないイメージ=謎=不安感』だったり。

そう、イメージだけで語ることなどできないのだ。





アウシュビッツだけではない、これら強制収容所で実際に起きたことは事実だ。
モノクロの写真や映像でしか知らない世界だったので
ここにきて、色つきの鮮やかな黄色に染まった景色の中で、それがはじめは信じられなかった。
けれど、私たちはモノクロしか知らなくても、
当時は、色つきの世界に生きる『現代』『今』だったのだ。
たった70年前のこと。

他人事ではない。
今、ふと乗ったバスが、何の予告もなく強制収容所に向かったら・・・。
下車直後に『死の選別』をされたら・・・。
それが政府の政策だったら・・・。




これらをやってきたアウシュビッツ・強制収容所・ナチス政権・ヒトラー・ドイツ。
確かに残虐という言葉では言い尽くせない。
果てしなく間違ったことには相違ない。
ここで起こったことだけを見ればそうだろう。
けれど、何故このようなことが起きたのか。
当時のドイツの社会情勢・国際情勢・第二次世界大戦の原因・・・
そういったハード面も知ると、
必ずしもドイツだけに責任があるとも思えない。



難しい問題ではあるが、一人ひとり考えてほしい。
と、ガイドの中谷さんが繰り返し言われていた言葉が胸に響く。

[2012/10/25 05:25] | ポーランド
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ガイドブックには旧市街のことがメインで紹介されているので、滞在日数が少ないと足を運ぶ人も少ないのかもしれませんが、
クラクフにはかつてユダヤ人ゲットーがありました。



昔は旧市街にもユダヤ人は住んでいたそうですが、
旧市街の外にユダヤ人街を作って住まわせられ、
ナチス政権下では川の対岸の「ゲットー」に移住させられました。



丁度、私が泊まった宿がユダヤ人街からほんの5分の場所だったので、
なんだかんだ毎日通ってました。




ユダヤ教寺院・シナゴーグに初めて入ったのは、一か月ほど前でしたが、
ユダヤ教について何も知らなかった私がそこで初めて感じたのは、
「十字架やキリスト像がないだけで、キリスト教の教会と似ている」
ということ。

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そりゃそうです。
キリスト教はユダヤ教から派生した宗教、
ユダヤ教の聖典はキリスト教で言うところの『旧約聖書』なのです。





それからユダヤ人が迫害される理由や、そもそもユダヤ人とはなんなのかとか
第二次世界大戦とか、ナチス政権のこととか
まじめに勉強しました。
といっても、基礎中の基礎レベルにすぎません。
今まで知らなさすぎたのです。

ユダヤ人のことについては次回のブログでも少し触れたいとおもいます。



あの巨匠・スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』はクラクフを舞台にした話ですが
それが実話だったというも初めて知りました。



ユダヤ人ゲットーのあった場所からすぐのところにシンドラーの工場跡があり
現在はクラクフ歴史博物館として公開されています。

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シンドラーの工場で働いていたユダヤ人のインタビューのVTRや
写真や手紙、武器の展示
当時の生活風景の再現展示などもありました。

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ここで、ほんの一握りかも知れないけど、たしかに『人の命』が救われた。
一歩間違えば『政治犯』としてアウシュビッツ行きになるかもしれない。
自分ならあの状況下で、状況下でなくてもそれができるか―――。


この工場の少し先にはロケを行ったという建物があるらしいのですが、
今回はロケ地めぐりが目的ではないので行ってません。





現在、当然ですが、当時ゲットーを囲っていた高い塀は取り払われています。
ほんの一部、その事実を忘れないために残されていました。
はっきり言って、ベルリンの壁も恐ろしく感じたけど、
それ以上に恐ろしいものを感じた。

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壁や囲いなんてあっちゃダメだ。

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ゲットーだった場所を歩いていても、今はその境が分からない。
ゲットーとその外をつなぐゲートがあった場所も分からない。
それが当たり前でなくちゃだめだ。






ゲットーがあった場所の町は静かでした。
ちょっと物寂しい感じもしました。
でも、カフェに人が集まっていたり、
家々から生活のにおいや音がするのがホッとさせてくれた。

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映画でしかしか知らない世界が、今自分が立っている場所で実際に行われていた。


こんな場所が、当時のドイツ領にたくさんたくさんあったはず。
ここだけではない。

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そんな思いを胸に、アウシュビッツ強制収容所に行きます。

[2012/10/22 19:35] | ポーランド
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グダンスク人
シンドラーのホーロー工場は、もともと戦前からポーランドにあったポーランド資本のホーロー工場を、ナチスが奪って、当時ナチス党員だったシンドラーが賄賂を贈って特別安く払い下げを受けたものです。

戦後は、シンドラーからホーロー工場を取り戻したポーランド政府が経営し、その後民主化で民営化され、現在でも、その博物館とは別の場所として操業し、世界各国に製品を輸出して業績も大変に順調です。

工場の名前はエマリア・オルクシュといいまして、エマリアの製品は日本にも輸出され、そのぽってりしたかわいいデザインと色使いが女性に大人気です。
数年前にロゴを変えまして、eの字がぐるぐるとなった感じのかわいいロゴになっています。

エマリアのホーロー製品はクラクフではもちろんとても安く手に入りますので、いちどキッチン用品店を見てみてください。
マグカップがお勧めです。そちらで滞在中にも使えますし。

えみりあさんのEmilia、エマリアのEmalia、名前がそっくりですね!

シンドラーのリストには、こんなハッピーな後日談があったんです、というお話でした。

Re: タイトルなし
えみりあ
≫グダンスク人さん

ステキな後日談ですね。ありがとうございます。
シンドラーの工場が別の場所で現存しているということは初めて知りました。
しかも世界中で愛される製品であるということ、素晴らしいですね。

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クラクフに来ました。



ここはあの『アウシュビッツ強制労働所』の拠点となる街です。
当時は拠点もクソもなかっただろうけど、
そんなアウシュビッツの話はまた後日。






今回は久々の街歩きシリーズです。
いつぶり?





クラクフは第二次世界大戦で国中が戦火に見舞われた中で
奇跡的に無傷で、中世の街並みが現存する世界遺産の一つです。

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会う人みんなが『クラクフサイコー』を合言葉のように言ってました。






旧市街は一部城壁も残っているようですが、

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公園のような遊歩道に囲まれています。

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こんなかんじがぐるり。








旧市街には教会がたくさん。

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街の中心部にはヨーロッパ最大級の中世から残る広場があります。

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街にあるマックは洞窟マックと言われているらしいのですが、
思ったほど洞窟ではありませんでした。

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ワクワクして行って残念完満載。
ちなみにここで『ハンバーガー』って注文したら
紅茶が出てきた。
なんでやねん。






旧市街の南には王宮があります。

そのすぐそばある竜のモニュメントを見てたら

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火ぃ吹きました・・・!!!!

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旧市街のそばの川沿いをお散歩。
絵になるわぁ。

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これ王宮ね。



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旧市街を出ると一気にのんびりまったりムード。
いいね。

私もこの街でのんびりまったり過ごすことに決定。

[2012/10/21 06:25] | ポーランド
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おせっかいかもしれませんが・・・
グダンスク人
はじめまして。
欧州でも、クラクフほど「公園都市」という言葉が似合う街は他にはないような気がします。

公園のなかに泊まって、公園の中に暮らして、公園の中で勉強をして、公園の中で働いて、公園の中で結婚して、公園の中で子育てをして、公園の中で生を閉じる、という街。
クラクフはそうやって何百年も過ごしてきた街ですが、いつまでもいつまでもこうでいてほしいです。

一昨年日本で公開されたポーランドのラブコメ映画で、『あなた、嘘をつかないで』というのがありましたが、そこでは男性のほうは「クラクフの街は全体が博物館みたいで退屈。ワルシャワは毎日がエキサイティングで好き。」と言ってるんですよね。
まあ上昇志向のある人にとってはそうでしょう。

この映画はYoutubeにありまして、00:50:25あたりからクラクフのシーンになりますので、時間があったら観てみてください。映像も綺麗で、ハッピーで素敵な映画ですよ(字幕なしでも楽しめますが、日本語字幕版は日本で手に入ります):
http://www.youtube.com/watch?v=9008tEzzIUI
(ストーリーなどは上記の邦題でウェブ検索してください。00:51:30あたりから男性の上記の「博物館(ムゼウム)・・・」のセリフです。映画の中ではレフ・ワレサ元大統領もサプライズ出演しておもしろい事言ってますよw)
これ観てクラクフを歩くともっとハッピーになれると思います。

追伸です
グダンスク人
あと、洞窟マックの売り文句の洞窟(カーヴ)は、自然洞窟のことではなく、ワイン貯蔵庫(ワインカーヴ)のことです。
あそこは14世紀に建てられた非常に古い建物の地下のワイン貯蔵庫で、おそらく世界のマックのなかで最も古い建物にあるのではないでしょうか。
民主化直後にマクドナルドが非常に安い家賃で長期契約したらしいです。
中世は温暖期だったので、クラクフやその周辺でもブドウが栽培され、さかんにワインが作られていたのです。

その後17世紀にかけて世界は寒冷期に入るのですが、ポーランドの衰退と、この時期の世界で頻発した大戦争は、この寒冷化と関係があります。
緯度の高いところで農作物とくに穀物が採れなくなりましたからね。

ハンバーガーは紅茶(ポーランド語でヘルバータ)と聞きとられてしまったのではないかと思います。
なんとなく響きが似ているでしょう?

Re: 追伸です
えみりあ
≫グダンスク人さん

はじめまして。コメントありがとうございます。
ご紹介いただいた映画、少し拝見しました。滞在している街並みが出てきてストーリーも素敵ですね。また、帰国したらゆっくりみたいと思います。
洞窟マック、最古のマックなんですね。知らなかったです。このあたりは地下フロアがこの洞窟マックと同じような内装がいくつかあって驚きました。これも歴史の一部なのですね。
とても貴重なお話、ありがとうございました。さらに深い滞在ができそうです。

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